自分をご機嫌にするヒント

人生にはデコボコがつきもの。自分をご機嫌にする方法を見つけて、楽しく生きるヒントをご紹介。

私にとって妹は神様、妹にとって私は超能力者

姉妹が仲良く遊んでいる画像

 

妹は先天性の聴覚しょうがい者です。見た目は五体満足ですから、話しをするまでそのことに気づかれることはありません。ですが口を開いた途端たいていの場合『ドン引きされます』。音が自分の耳に届かないのですから、どんなトーンで喋ればよいのかわからないわけです。声が大きいうえに訓練を受ける前は『イガイガした怪獣のような声』を発していました。

 

そんな妹も今年で52歳を迎えます。いい年ですよね。立派な『おばさん』です。けれど、知能的にも精神的にも幼い妹は、子どものまんまスクスクと育った人。純粋、素直、優しい、ときに正直すぎて残酷。嘘という概念も存在しない。だから信頼できる存在でもあります。

 

今でこそ、妹とは仲が良いですけど、幼少期は違いました。人と違う妹のことでからかわれ、イジメにもあってきました。だから嫌いでした。妹のこと。私も子どもでしたし、その責任の全てを妹におっかぶせていたんですね。耳で感じられない分、妹は人の気持ちを敏感に察知するところがあります。ですから私のそんな悪意を、ひしひし感じていたことを、大人になった後に知らされました。

 

55歳を迎えようやく私も、少しばかり器が大きくなってきたようです。心が広いとか寛容にはまだまだ遠いものの、妹に対する見方は全然違ってきましたね。考えてもみてください。50を過ぎて心がキレイな人ってどれくらいいるでしょう。大人の分別とか理性とか経験とか、そんなものは関係なくですよ。身内びいきと言われても、妹は本当に心がキレイ。そして優しい。

 

妹の存在は私にとって神レベル。いつだって私を褒めてくれて、認めてくれて、何をしても受け止めてくれるんです。毎日いっぱいハナマルをつけてくれるんです。そんな存在って有難いし、感謝しかありませんよね。自分を認めてくれる人、無条件で愛してくれる人がいる。それだけで人は生きていけるし、幸せを感じられるもの。

 

ただ、ですよ。妹は子どものまんま。したがって行動も価値観もお子ちゃまなんです。お菓子が大好きで、お給料のほとんどをおやつに費やしてるし、絵を描くのが好きな私への誕生日プレゼントは100円均一のスケッチブック3冊だったりします。

 

お姉ちゃんは絵を描くことが好き。だからプレゼントは絵を描くスケッチブックにしよう。そこまでは思いつくのです。でも普通なら贈る相手の年齢も考えて、ちょっと高級なスケッチブックにしようと思いますよね。けれど妹はそこまでは想いが至らない。誕生日プレゼントはわかりやす例ですが、家族だから笑えることもあるのです。

 

それでも私を喜ばせようという気持ちに嘘がない。だからこそ嬉しい。私の「ありがとう」というひとことで、妹は満面の笑顔になります。そして「良かったね」と他人ごとみたいに言います。そこも可愛い(親ばかならぬ姉バカ)。

 

とにもかくにも妹は私にとって、清く尊い存在なのです。

 

逆に妹にとって私はというと。超能力者だと信じられています。といいますのも、子どものころに嘘をついてしまったんですよね。妹の立てる足音は声と同様ものすごく大きくて、帰ってきたことがすぐわかります。だから玄関の前で待ち伏せて「お帰り」と言っていたわけです。そうしたところ「お姉ちゃん、どうして帰ってきたことがわかるが?」と驚かれました。

 

うっかりしていましたが、妹は足音がする! ということがわからない。音という概念から外れた世界の住人ですから。人はみなやっぱり自分が基準だということでしょう。妹にとっては足音が聞こえる、ということが当たり前ではないのです。このとき私は軽い気持ちで「凄いやろ? お姉ちゃんには超能力があるから」と答えてしまいました。妹はそのときの言葉をずっと信じているわけなのです。

 

嘘、冗談という観念を妹は理解しづらい。ですから今でも妹にとって私は、超能力者なのです。誤解を解こうかと思わないでもないですけれども、まぁいいか! とスルーし続けて今日に至っております。

 

妹に障害があるという環境で育ったからか、私の周囲には個性豊かな特性を持つ人が集まってきます。身体的に特徴があるというより、妹と同じ一見するとわからない障害を抱えていたります。それは特別なことではなく、私にとっては日常であり何ら不思議ではありません。「実は障害があるんです」と打ち明けられても「そうなんだ」と拍子抜けするような反応しかできなくて、相手には驚かれます。

 

カミングアウトされる前と後で気持ちが変わることもありません。障害があろうがなかろうが、人はそれぞれ違うのですから。とはいえ現実的にその方たちが抱える悩みは大きいわけで、社会的な支援や個人の配慮が必要になる場合も多々あります。けれど基本的にはなにも変わらない。

 

こういう思考というか意識を持てるようになったのも、妹の存在が大きく、改めて感謝の気持ち膨らみます。騙している背徳感を抱えつつ、今日も「ありがとう」の気持ちを伝えようと思います(*^^*)

 

ジャッジすることを止めると楽になる

威嚇しているライオン

 

ブログタイトルを、『自分をご機嫌にするヒント』とつけたわりに、投稿を見てみると本のことばかりになってますね。ただこれは無関係なわけでなく、本が大好きですから、自分をご機嫌にしてくれるアイテムのベスト1に君臨している証拠。とはいえ、ここいら辺で考え方というか意識の転換について書いてみようかな、と思ったりする次第です。

 

過去の自分を振り返ってみる

 

若い頃は常に戦闘モードで、鎧を何重にも纏い、手には槍を持ち、社会や周りを威嚇して吠えていた私。今考えると滑稽なくらい。なにをそんなに警戒していたのかって笑えてきます。

 

戦闘モード時代は、他人に迷惑をかけたり、悪口言われる筋合いがないことでも、色々とトラブルがついてまわっていました。そのたび「人って面倒」と悪態をつきつつ、いちいち応戦していたもので、心にはトゲトゲがいっぱい!!

 

それが40過ぎたあたりからは、時間の使い方を考えるようになり、周囲の喧騒にかかわっていてもろくなことがない、と気づいたんですね。自分を否定する人に対して、正論をかざして説得しようとしても、結局は平行線を辿るだけ。

 

しかも私も含め、自分を否定されたり批判されて嬉しい人間はいません。誰しも自分が基準だし、自分が正解なんです。相手のことを変えようなんておこがましいったらない。何様だってはなしですよ。人はそもそも分かり合えないのが当たり前。分かり合える努力は必要かもしれませんが、すっぱり切り離すことも大事。それがお互いにとっていい結果となる場合が多いのです。


私は本から人生訓を得ることが多々あります。人は理解しあえない。一見すると暴論に感じるこの捉え方は、養老孟子さんの『バカの壁』を読んで、目からウロコ状態になり、意識の変化や転換へのきっかけとなりました。

 

 

養老孟子著 バカの壁

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この考え方に変わってから、私自身の価値観や行動はさほど変わっていないのに、周囲からの評価はずいぶんと違ってきました。重たい鎧を脱ぎ、何の意味もない槍を捨てたからでしょう。なにより人をジャッジすることを止めたことが大きいかも。初対面での印象が格段に良くなりましたね。

 

以前は・・・・。

 

目つきが悪い

とっつきにくい

言葉がキツイ

空気が読めない

協調性がない

つきあいが悪い

冷たい

感情がない

お高くとまってる

自己中心

 

と、まぁ惨憺たるお言葉の数々ををいただいておりました。これだけみると、どんだけひどい人なんだ、って感じでしょ。ただ私的には、悪口を言われても、村八分にされても、無視されても、それほど気にならなかったからスルーしていました。こういう態度もよけいに腹が立ったのかもしれませけれど。

 

現在の状況と変化

 

それが今では。

 

優しそう

聞き上手

相談に乗ってほしい

なんでもできて頼りになる

自分の意見がはっきり言えて羨ましい

周りに流されない強さがいい

独創的で話が面白い

いつも楽しそう

大らか

 

これ同じ人間? というくらいの高評価だし、自分のことだと思えない(笑) みんな騙されてるよ。といってあげたいところですが、ジャッジするのをやめたのとは逆に、はじめたことがあります。それは『相手の言葉をいったん素直に受け止める』ということ。ですから誉め言葉はありがたくちょうだいするようにしています。

 

もちろん印象が大きく変わった要因はひとつではないと思います。ふっくら体型になったことで、「優しそう」という声が多数あがるようになりましたし。見た目も影響するってことですよね。

 

 

経験から得たものは

 

経験から導き出されたことは、人はみんな違うってこと。当たり前じゃないって思いますよね。けれどその当たり前のことを頭で理解していても納得はできてないものです。納得できていれば、意見が違っても、否定されても、批判されても、「人それぞれだからね」と受け止めることができます。

 

ただ人間には感情がありますから、わかっていても気持ちがついていかないことはありますよ。はけ口やストレス発散方法を自分で見つけて、上手に対処するしかないのです。

 

世の中は矛盾に満ちているし、理不尽であふれかえっています。そのたびに腹を立てたり、相手をジャッジしていると、時間をどんどんそぎ取られて、結局は自分の首をしめることになります。で、ますますイライラが募って疲弊する。悪循環ですね。

 

自分のことを正当に評価してほしい。わかってほしい。理解してほしい。認めてほしい。これはみな同じでしょう。否定されれば傷つくし腹も立つ。だからこそジャッジすることを止めるんです。相手のことを自分の物差しで裁かない、判断しない。そうしているうち、周りの人のことが気にならなくなります。余計な雑音に耳を汚されることもないし、気持ちが揺れることも小さくなってきます。(ゼロにはならない)

 

ジャッジすることを投げ捨ててからは、自分自身のやりたいこと、好きなこと、楽しいことに集中できて、気持ちも楽でスッキリした気分になれました。

 

相手を変えることはできません。ならば自分の意識を転換する方が手っ取り早い。年をとるのも悪くないですね。無駄なものがふるいにかけられて、大切なものがしっかり見えてきますから。

 

今は特別な日々じゃなくても毎日が幸せで楽しい♡
ありがとう、感謝♫

 

 

愛するものとの時間が愛しい『一分間だけ』原田マハ著

動物ネタにめっきり弱くなりました。涙腺崩壊してしまいます。若い頃はそれほどでなかったのに、アラカン世代ともなりますと、鼻の奥がツンとして滂沱の涙でございますよ。

 

原田マハ著「一分間だけ」

 

原田マハさんの『一分間だけ』なんて、表紙を見ただけでもう泣けてきます。あきらかに愛犬が亡くなってしまうお話しだし、感動の涙を誘う物語だということは、容易に想像できちゃいます。それでも、まんまと罠にかかるがごとく買いましたよ。

 

そして、やっぱり泣いた! という。

 

ファッション編集者である主人公は、仕事の取材がきっかけとなり「ゴールデンリトリバー」を飼い始めます。ですが編集という仕事は残業も多く、そのお世話の殆どを同棲している恋人が担うことに。仕事、恋人との生活、犬との同居、めまぐるしく過ぎていく日々に、主人公の心は疲弊してしまいます。

 

大事なものを見失ってしまった主人公は、恋人と破局し犬のリラと暮らすことになります。大型犬で世話がかかるリラとの生活に、どんどん苦痛を感じていく主人公。さらには! 精神状態が限界を超えたタイミングで、追い打ちをかけるようにリラが病に侵されて・・・・。

 

という展開です。

 

物語としては目新しさも、特筆すべきことも正直ありません。想像どおりと言ってしまえばそれまでのお話しです。ただ最後まで一気に読ませてしまうのは、原田マハさんの文章の読みやすさです。難解な表現や無駄がない美しい言葉で綴られていて、内容が過不足なくすっと心に届いてきます。

 

なによりも一番の魅力は、『リラという犬の愛くるしさ』これに尽きます。犬は人間に忠実であり、愛情に疑いを持ちません。それでいて人の心の機微に敏感な生き物です。本人さえ気づいていない感情をいち早く察知してしまうところがあります。だからこそ、絆が深くなっていくのでしょう。

 

この物語は単純に愛犬との愛情物語ではありません。本当に大事なものはなに? という問いかけとともに、忙しい日々の中で失われていくもの、捨ててしまっているものに、改めて気づかされるお話しです。

 

24時間、365日、これ平等ですね。「忙しい」「時間がない」は言い訳にならない。そこをどう工夫して自分も周りも幸せに生きていくのかを考えない限り、時間の呪縛からは抜けられない気がします。

 

泣くという行為はストレス発散に効果的だそうです。感動して涙を流すのは特に癒しにもなりますから、ちょっと疲れが溜まってきた方にはおすすめの作品ですよ。もちろん犬好きの方にも。いや、逆に犬好きな方には切なすぎるかな・・・・。

 

何にせよ心が温められる一冊であることは間違いありません。

 

『一分間だけ』原田マハ

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『環境や誰と出会うか』で人生は激変する

幼少期における環境や関わる大人の存在は、その後の人生に大きく影響してきます。祖父と暮らした期間がなければ、今の私はなかったと断言できます。それくらい、祖父の存在は大きかったですね。

 

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協調性ゼロだった幼稚園時代

 

幼いころから協調性というものが欠けていた私。社会的な視点で見れば自己中心でわがままな性格といえます。ただ私自身は「自分の感情に正直に」生きていたつもりでした。子どもだからよけい、周囲の思惑など関係なかったのです。

 

他の子と一緒になにかをする。まず共同生活においてこれができないと、とても困ったことになります。幼稚園では見事な暴れっぷりだったようです。幼稚園は保育所と違って、教育目的で預けられる場所。そのため小学校と同様に時間割りのようなものが定められています。

 

私は「おゆうぎの時間」というのが大嫌いでした。「おゆうぎ」自体が嫌だったわけではありません。好きでもない曲をかけられて、みんなと同じ振付で踊らされることが苦痛でした。どうせ踊るなら、お気に入りの曲で自由に楽しく踊りたいわけです。

 

で、どうしたかというと! 家が近かったこともあり、脱走して自分の好きなレコード(当時はレコードでした)を持ってきて、許可もなくかけて踊ってました。しかも「おゆうぎの時間」でもないのに(笑)

 

またあるときは、お昼寝をしたいと駄々をこね、みんなが帰ったあとも帰らず、勝手に寝る。みたいなことを繰り返していたようです。今思えば「なんて子だ!」と自分でも叫びたくなります。穴があったら入りたい。

 

さぞかし幼稚園の先生たちには、ご迷惑をおかけしたことでしょう。にも関わらず、園長先生が奇特な方で「好きなようにさせてあげましょう」と叱ることなく、私の気持ちを優先させてくれたのです。感謝しかありません。

 

そんな自分がよもや、幼稚園教諭になるなんて、このときは夢にも思いませんでしたけど。のちに幼稚園教諭の職についたときは、母から念を押されました。「さんざん子ども時代に迷惑をかけたんだから、これはご恩返しのチャンス。どんなことがあっても子どもを怒ったり見放してはダメ」と。

 

 

病弱だった時代

 

幼稚園時代だけを見ると、やりたい放題な子どもに見えますが、もとから自由奔放だったわけではありません。私が自分に正直に生きるようになったのは、祖父との生活が大きく影響しています。

 

0歳のころは体も弱く、二度ほど心停止したこともあるくらいでした。虚弱体質というんですか? これといった病名がついたわけでなく、免疫力や体力がなかったんですね。したがって「風邪」をひいだだけで呼吸困難に陥ってしまいます。

 

医師からも「もしかしたら20歳まで生きられないかも」と宣告されていたそうです。アレルギーもひどく、顔は腫れあがり黄疸も常に出ていたといいます。両親はある程度、覚悟していたようです。

 

若くして親となった父と母は、経済的にも困窮していました。病弱な私につきっきりでいるわけにもいかず、頭を悩ませていたそうです。考えあぐねた両親は、父方の祖父母の家に私を預けることに!

 

当時、私たちが居住していた場所は、空気が汚染されており、子供にとって良い環境とはいえませんでした。自然豊かな田舎生活をさせた方が健康にもいいだろう、そんな配慮もあってのことだったと思います。そこで私と祖父の、運命の出会いが待っていたのでした。

 

生きていく術は祖父から教わった

 

両親は病弱な私を腫れものに扱うようにしていました。風邪をひかないように冬は厚着をさせ、菌に感染しないよう外へも連れて行かない。最新の注意を払っていたようです。

 

ところが祖父は全く逆でした。昔ながらの頑固おやじ気質。「てやんでぇ」の江戸っ子口調で、「子どもは風の子や。外で遊んで来い」と頓着しません。冬でも重ね着をさせることなく、長そでの肌着一枚で過ごしていました。夏は川で水遊び。家の中にいた記憶がないくらい。

 

祖父の口癖は「働かざる者は食うべからず」でした。これは子どもに対しても同様で、情け容赦ありません。果物が食べたいというと、山になっている柿やミカンを指さし、自分でとってこいとピシャリ。

 

木になっている果実は、子どもの身長では届きません。「手が届かん」と拗ねてみても、孫のぶりっこは通用しませんでした。「こうやったらえい」と木に登って獲ったかと思うと、祖父は自分で食べてしまいます。

 

「私にも獲ってや」と泣きじゃくる戦法に出ても、「方法は教えちゃったろう。自分で獲れ」という始末。スパルタ教育のおかげで、私は木登り名人になりました。近所の子どもたちに、羨望と憧れの視線を浴びるくらいに。

 

ほかにも魚の獲り方、ヘビの捕まえ方など、役に立つものから立たないものまで、様々な術を教わりましたね。預けられたころは「お嬢さま風」なお子ちゃまだったのに、両親の元に返される頃には、「野生の子」に変身しておりました。

 

どれくらいの変貌ぶりかというと! 

 

ビフォー

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アフター

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なんじゃこりゃあ!!
ってくらい変化して、何だか悪ガキと化しておりまする。しかもパンツ丸出し。悪ガキを通り越して、山猿って感じでしょ。人間、環境でこれくらい変わるんですよ。コワイですね。衝撃的ともいうべき、ビフォーアフターでございます(笑)

※昭和40年代ですから写真はモノクロ。
カメラを所有しているだけでも、結構すごいと言われてた時代。

 

おまけ

祖父とのエピソードはたくさんあるのですが、祖母との想い出は意外と少ない。祖母は矍鑠として、怖い印象しかありませんでした。それでも、唯一心に残っているエピソードがあります。それは・・・・!

 

病弱だった孫に、なんとか栄養をつけさせようと、祖母は毎日、生卵を飲ませました。当時、卵は高級品で滋養強壮にとても良い、とされていましたから。貧乏でお金がない中、私のため毎日卵を買ってくれてました。

 

そんなある日、私の肌が何だか黄色くなってきたのです。

私:「おばあちゃん。手が黄色うなってきたで」

祖母:「あんた、みかんばっかり食べゆうきよね。ほんで黄色うなったがよ」

私:「ふうん」

 

ところが、2日後にダウンし、病院で診察を受けた結果、卵の摂取しすぎで、黄疸になっていたことが判明。先生:「子供に生卵はいかんぜよ。肝臓やられるところやったぞ」祖母がよかれと思ってしてくれたことは、逆効果でした。それでも祖母は、「生卵やなかったらえいがやねぇ」と、めげる様子はなかったそうな。

※会話は土佐弁です(高知の方言)

 

 

 

片づけられない人のたわごと

本が飛び交う部屋

 

荒れ放題の部屋にため息をつくこの頃でございます。そういえば昔、私の部屋に足を踏み入れた父が「泥棒に入られたのか?」と真顔で言ったことがありました。冗談ではなく本当にそう思ったそうです。

 

鑑みるに、片づけられない症候群は幼少期からだったようで。とにかく物が多くて雑然としております。それならば『不必要なものを捨ててスッキリしろよ』と言われるでしょう。でも、ね。好きなものばかりなのですよ。捨てられるものがあれば、とっくに捨ててます。

 

ちょっとした病なんでしょう。収集癖があります。好きなものに囲まれてヘラヘラ笑っている変態なんです。私が好きなもの。本、画材、文房具、ハンドメイド用資材など。とにかく量が増していくものばかりでございます。

 

で、全て有意義に活用しているのかと訊かれたならば「NO」です。周りにその存在(もはや人間扱い)を感じるだけで幸せなのですよ。逆にないと落ち着かず、ソワソワしてしまいます。

 

好きなことや興味あることは「すぐできる環境」にないと嫌な性分なのも厄介。「やりたい、でも材料がない」というのが好ましくないのですね。「今」やりたい、「すぐ」やりたい、明日まで待てない。というワガママな人間でして。

 

脱線しまくりですけれど、結局、物を減らすことができないなら、散らかった部屋に目をつむるしかない。もしくは趣味の部屋を別に借りる。くらいの選択肢しか思いつきませぬ。

 

現実的に趣味の部屋を借りるのは「すぐ」には無理なので、取り合えずスルーする方向で。つまりは何も解決していないってことですね。まぁ、それも良し。

 

というわけで、ただの独り言でした。 

【本日は、お日柄もよく】言葉のチカラ

本日は、お日柄もよく 原田マハ

 

言葉が持つ力を感じさせらる

 

シンプルな装丁とタイトルに惹きつけられ手にした本が、 原田マハさんの『本日は、お日柄もよく』でした。原田マハ作品を読むきっかけになった作品でもあります。

物語は、主人公がずっと想いを寄せていた、幼なじみの結婚式のシーンから始まります。好きな人の結婚式に参列しているわけですから、楽しい気分なわけがなく、いってみれば最悪なシチュエーションですよね。

ところが鬱々とした気分で臨んだ結婚式で、涙が出るほど感動的なスピーチに出会います。そこから主人公の人生が動き出し、スピーチライターへの道を目指すことになるのです。

最悪な状況から一変して感動、衝撃、人生観を変えてしまうほどのスピーチとは一体? 言葉の力を信じている私は、そこに強烈なインパクトを受けて、一気に読み進めていきました。

 

ライターという職業

ライターとひとことにいっても、様々なジャンルがあります。この作品で『スピーチライター』という職業があることを、初めて知りました。

文章を書くことが好きな私。でも、どちらかというと小説などのフィクションが得意です。本の感想、体験など、事実や自身の想いを文章にするのは苦手。ですから他人がスピーチする原稿を書くことなど、とてもじゃないですけど「あり得ない」と考えてしまいます。

政治の世界では、秘書や補佐役が原稿を書くことは周知されていますけれど、一般的な社会において、それが職業として成立するとは驚きでしたね。まあ代筆屋というのもありますし、それほど不思議はなかったわけですけれど。

誰かのことを書く場合、その人をよく知らなければ書けません。考え方、価値観、なにが好きで、なにが嫌いか、などなど。興味がある対象でなければ、そこまで時間をつかって書こうと思わない。ただ職業だとした場合は『ライター』としてプロ意識で割り切りも必要なのでしょうね。

 

相手の話しを聴き、言葉を引き出す

 

感情や思い入れだけでは、良いスピーチは書けないのですね。どちらかというと、客観性が必要。良い悪いではなく、フラットな感情を保つ。そして依頼者の伝えたいことに焦点をあて、それをどう言葉で伝えていくか。その一点が大切になってきます。

とはいえ、気持ちが全くないと、味気なくて体温が感じられない言葉になる。本当に言葉って難しい。スピーチライターとしての教訓を、主人公が学んでいくの様を読みつつ、自分に置き換えて考えさせられることも多かったですね。

私はときどき、コーチングによるセッションを行っています。コーチングで必要なのは傾聴。アドバイスは一切おこないません。相手の感情のみに焦点を当て、質問によって、相手の中にある答えを引き出していくのです。

スピーチライターに必要な要素は、コーチングとも共通しているところがありました。相手の感情に寄り添い、相手から言葉を引き出していく。決してライター自身の価値観でスピーチの原稿を書かない。そのためには、相手の話しをひたすら聴くことが求められます。

私自身とても学ぶべきことが多かった作品でした。

 

『本日は、お日柄もよく』原田マハ
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青春小説に対する苦手意識を外してくれた『砂漠』

伊坂幸太郎の小説『砂漠』

 

様々なジャンルの本を読む私ですが、『恋愛小説』『青春小説』は苦手としています。何がどう苦手なのかを説明するのは難しい。敢えていうならば、面白い本に出会えてないだけかもしれません。

 

そんな中、伊坂幸太郎さんの『砂漠』を手に取りました。タイトルから青春小説だとは想像できませんし、もともと伊坂作品のファンですから、何も考えずに購入したわけです。ところが本の帯に『青春小説』と書かれてあるのを見て、少々驚いてしまいました。

 

伊坂さんといえば「ミステリー」という先入観があったのですね。しかも正統派というより、不思議な世界観が繰り広げられる『毛色の変わったミステリー』というイメージが強い。最初に読んだのはデビュー作でもある『オーデュボンの祈り』。ミステリーにファンタジーのスパイスが加えられた作品だったことが、印象操作を強めているかもしれません。なんせ超能力を持ち、人語を発するカカシが殺されるところから物語が展開するのですから!

 

奇想天外でユニークな発想と、クモの糸のように張り巡らされた伏線、魅力的なキャラクター設定が、伊坂作品の妙だと私は常々思っていました。ですから青春小説という分類にあっても、きっと単純なお話しではないはず、そんな期待感を持ってページをめくりました。

 

結論からいうと、期待を裏切らない秀逸な作品でした。物語の設定は大学で、登場人物たちはまさに青春真っただ中の世代。青春小説との位置づけも納得できます。が、一筋縄ではいかないのが、伊坂作品です。仙台市の大学で知り合った5人のキャラがとにかく面白い。ストーリーテラーの役割を果たす主人公が一番普通で、アクの強い4人がいい味を出してます。

 

伊坂作品に登場する人物は、何かしらの特殊能力が備わっていることが多い。この作品でも例外ではありませんでした。特殊能力といっても、実際にはあまり役に立たないものが大半で、そこがまた私的には好きなところ。

 

性格もバラバラで接点もない5人が、トラブルに巻き込まれながらも絆を深めていく。合コン、麻雀、ボウリング、恋愛、と内容的にはバリバリの青春小説です。それでも物語には小さな仕掛けが施されていて、最後まで飽きさせないのは流石のひとこと。

 

物語の中で事件がいくつか起こるのですけれど、張られた伏線が見後に回収されていきます。ここに繋がったか! と解決される瞬間がスッキリ爽快。勧善懲悪ではないけれど、善と悪が分かりやすいのも青春ならでは、という気がしてくるから不思議です。

 

性格も価値観も全く違う5人は、十代に知り合ったからこそ、ここまで絆を深めていけたように思います。社会人になってから出会ったのであれば、きっと関係性は異なっていたことでしょう。だからこそ、大学という舞台設定で、青春小説として描かれる必要性があったのだと、勝手に納得してしまいました。

 

何の役にも立たない正義をふりかざしたり、どうでもいい勝負にこだわってみたり。下らないこと、バカバカしいことを大真面目にできるのが、青春時代の特典のようなもの。社会に出たら単純に物事を楽しめなくなってきます。それは世間体だとか他人の評価など、自分以外のことに意識が集中してしまうからだと思います。

 

もちろん十代でも、思慮深い若者はいますし、大人になっても子どもの心を失わず、自分に正直に生きている人もいます。それでも環境や社会的な地位などによって、変わっていく傾向にあることは否めません。

 

砂漠を読んで一番最初に感じたことは、大人になれば自由になれるなんて神話を、どうして信じていたんだろう、ということでした。義務教育や未成年の間は、親や教師、周りの大人に支配され、行動を制限されているような気分でした。自分の意志では何ひとつ選択できず、お金も自由にならない。社会人になって自分でお金を稼げるようになれば、そんな足かせが外れて何でも自分で決められる。そんな風に真っすぐに信じていたころが懐かしいとさえ思えてきます。

 

実際のところ、大人になればなるほど不自由度は増していきます。会社に勤めるようになれば、社員としての立場が生まれるし、結婚すれば親・兄弟姉妹とは別の家族枠が出来ます。個人として自由気ままに行動しづらくなっていくのが現実。このように考えれば、大人たちによって束縛されていると思っていた十代の頃が、一番自分らしくいられる時期だったのではないか、などと少し感傷に浸ったりするのです。

 

この作品に巡り合えたおかげで、青春小説に対する苦手意識が若干薄くなった気がします。敢えて読もうと思うことはなくても、面白い青春小説に出会えることが楽しみになってきました。それが一番の収穫だったかもしれません。

 

『砂漠』伊坂幸太郎

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