自分をご機嫌にするヒント

人生にはデコボコがつきもの。自分をご機嫌にする方法を見つけて、楽しく生きるヒントをご紹介。

私にとって妹は神様、妹にとって私は超能力者

姉妹が仲良く遊んでいる画像

 

妹は先天性の聴覚しょうがい者です。見た目は五体満足ですから、話しをするまでそのことに気づかれることはありません。ですが口を開いた途端たいていの場合『ドン引きされます』。音が自分の耳に届かないのですから、どんなトーンで喋ればよいのかわからないわけです。声が大きいうえに訓練を受ける前は『イガイガした怪獣のような声』を発していました。

 

そんな妹も今年で52歳を迎えます。いい年ですよね。立派な『おばさん』です。けれど、知能的にも精神的にも幼い妹は、子どものまんまスクスクと育った人。純粋、素直、優しい、ときに正直すぎて残酷。嘘という概念も存在しない。だから信頼できる存在でもあります。

 

今でこそ、妹とは仲が良いですけど、幼少期は違いました。人と違う妹のことでからかわれ、イジメにもあってきました。だから嫌いでした。妹のこと。私も子どもでしたし、その責任の全てを妹におっかぶせていたんですね。耳で感じられない分、妹は人の気持ちを敏感に察知するところがあります。ですから私のそんな悪意を、ひしひし感じていたことを、大人になった後に知らされました。

 

55歳を迎えようやく私も、少しばかり器が大きくなってきたようです。心が広いとか寛容にはまだまだ遠いものの、妹に対する見方は全然違ってきましたね。考えてもみてください。50を過ぎて心がキレイな人ってどれくらいいるでしょう。大人の分別とか理性とか経験とか、そんなものは関係なくですよ。身内びいきと言われても、妹は本当に心がキレイ。そして優しい。

 

妹の存在は私にとって神レベル。いつだって私を褒めてくれて、認めてくれて、何をしても受け止めてくれるんです。毎日いっぱいハナマルをつけてくれるんです。そんな存在って有難いし、感謝しかありませんよね。自分を認めてくれる人、無条件で愛してくれる人がいる。それだけで人は生きていけるし、幸せを感じられるもの。

 

ただ、ですよ。妹は子どものまんま。したがって行動も価値観もお子ちゃまなんです。お菓子が大好きで、お給料のほとんどをおやつに費やしてるし、絵を描くのが好きな私への誕生日プレゼントは100円均一のスケッチブック3冊だったりします。

 

お姉ちゃんは絵を描くことが好き。だからプレゼントは絵を描くスケッチブックにしよう。そこまでは思いつくのです。でも普通なら贈る相手の年齢も考えて、ちょっと高級なスケッチブックにしようと思いますよね。けれど妹はそこまでは想いが至らない。誕生日プレゼントはわかりやす例ですが、家族だから笑えることもあるのです。

 

それでも私を喜ばせようという気持ちに嘘がない。だからこそ嬉しい。私の「ありがとう」というひとことで、妹は満面の笑顔になります。そして「良かったね」と他人ごとみたいに言います。そこも可愛い(親ばかならぬ姉バカ)。

 

とにもかくにも妹は私にとって、清く尊い存在なのです。

 

逆に妹にとって私はというと。超能力者だと信じられています。といいますのも、子どものころに嘘をついてしまったんですよね。妹の立てる足音は声と同様ものすごく大きくて、帰ってきたことがすぐわかります。だから玄関の前で待ち伏せて「お帰り」と言っていたわけです。そうしたところ「お姉ちゃん、どうして帰ってきたことがわかるが?」と驚かれました。

 

うっかりしていましたが、妹は足音がする! ということがわからない。音という概念から外れた世界の住人ですから。人はみなやっぱり自分が基準だということでしょう。妹にとっては足音が聞こえる、ということが当たり前ではないのです。このとき私は軽い気持ちで「凄いやろ? お姉ちゃんには超能力があるから」と答えてしまいました。妹はそのときの言葉をずっと信じているわけなのです。

 

嘘、冗談という観念を妹は理解しづらい。ですから今でも妹にとって私は、超能力者なのです。誤解を解こうかと思わないでもないですけれども、まぁいいか! とスルーし続けて今日に至っております。

 

妹に障害があるという環境で育ったからか、私の周囲には個性豊かな特性を持つ人が集まってきます。身体的に特徴があるというより、妹と同じ一見するとわからない障害を抱えていたります。それは特別なことではなく、私にとっては日常であり何ら不思議ではありません。「実は障害があるんです」と打ち明けられても「そうなんだ」と拍子抜けするような反応しかできなくて、相手には驚かれます。

 

カミングアウトされる前と後で気持ちが変わることもありません。障害があろうがなかろうが、人はそれぞれ違うのですから。とはいえ現実的にその方たちが抱える悩みは大きいわけで、社会的な支援や個人の配慮が必要になる場合も多々あります。けれど基本的にはなにも変わらない。

 

こういう思考というか意識を持てるようになったのも、妹の存在が大きく、改めて感謝の気持ち膨らみます。騙している背徳感を抱えつつ、今日も「ありがとう」の気持ちを伝えようと思います(*^^*)