自分をご機嫌にするヒント

人生にはデコボコがつきもの。自分をご機嫌にする方法を見つけて、楽しく生きるヒントをご紹介。

目標のハードルを下げてみる

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才能あふれる人に憧れます。継続できる人に敬意を抱きます。どちらも自分に欠けているものだから。けれど羨んだり、妬んだりすることはないんですね。人にあって自分にないものを探せばキリがない。今あるものに目を向けるほうが、気持ちも楽になれますし。

 

私は自分に、メープルシロップくらいの寛容さをあげるようにしています。甘いんだけど、甘ったるくない程度の甘さ。たとえば目標を立てたとして、完璧を目指そうとすると、苦しくなるし先も見えなくなってしまいます。だから、ほんの少しだけハードルを下げてあげるんです。

 

継続が苦手だけれど、毎日はできなくても、一週間に1度なら続けられるかも。それも無理なら一ヶ月に1度。という風に可能性の人参を鼻先にぶらさげてあげる。そうすると『できないかも』という挫折が『できるかも』という希望に変わるから不思議。

 

ブログ更新も、開設した当初は「よ~し、毎日更新するぞ!」と意気込んでました。書くネタはたくさんあるし、書くことは楽しい。だからきっと毎日できるはず。と思っていました。

 

ところが、そうは問屋がおろさないわけですよ。私は夢中になれることは少ないけれど、好きなことは沢山あります。やりたいこと、やってみたいことは山のごとし、なわけです。ですからひとつのことに集中できない。

 

ブログ書こうかな、いや、歌の練習をしてからにしよう。そろそろ書こうかな、でも絵も描きたいしな。なんて感じで興味の対象が目まぐるしく移る、浮気性なのでございます。我ながら呆れないでもないんですが、楽しいから反省の二文字が行方不明になってしまう。

 

そんなこんなで気づけば、ブログ更新がすっかり滞っている状況に陥ります。ああ、やっぱり私に継続を求める方が無理なお話しなんだよ。誰にともなく呟きます。親にはこの性分をずいぶんと嘆かれました。

 

「何とかした方がいいじゃない? 飽き性なところ」と、私なりに軌道修正を図ったことは何度かありましたよ。でも自分を嫌いになったことは、不思議とないんです。おめでたい性格でよかった。めげない、くじけない、立ち直りが早い。これ最大の長所。

 

たまにしか更新しなくても、書きたくなったらまた書けばいい。これくらいの気軽さを持っていたほうが、結局は長く続くんですよ、私の場合。継続がどれくらいのスパンなのか、基準もひとそれぞれだと思うし。

 

毎日なのか、毎週なのか、毎月なのか、毎年なのか。

 

オリンピックだって4年に一度の開催でしょう? でも継続されてる一大イベントですよね。だったら、期間は少々大目に捉えてもいいのではないか。と私は思う次第です。あまりにハードルを下げ過ぎると、今度はモチベーションを保つのに苦労します。ですから、自分のやる気と根気に相談してもらって、ちょうどいい期間を設定すればいい。

 

そんな結論に至った私は、今こうしてまた書きたい衝動の赴くままに、ブログ記事を書いております。いつまで続くかは謎ですけれど、「しょうがないな~」と温かいお心で、たまに訪問してくださると小躍りして喜びます。

 

【蛇足】

イラストと内容は全く関係がありません。
あしからず。

 

 

 

お友だちが詩集『小さな幸せ×1000=大きな幸せ』を出版されました

テレビを見て
思わず笑ってしまったこのとき

今日の空が
いつもより青いと気づいた
今このとき


大好きな人が
そばにいる
今このとき

当たり前の日常から
小さな幸せ
いっぱい感じて
いっぱい いっぱい
心にとめて

『小さな幸せ 大きな幸せ』より

 

 
以前から交流の深いブロ友さんが、この度、詩集『小さな幸せ×1000=大きな幸せ』を自費出版いたしました。発売日は令和元(1)年11月1日。まさに今日です。しかも『1111』のゾロ目。表紙の装丁や本編に挿入されている絵も、ご本人によるもの。

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彼女は、中学時代から地道にコツコツと書き溜めていた作品を、いつか世に出したい! ずっと夢みていたそうです。
     
コンテストで入賞し、商業誌で華々しくデビューを飾り、作品を出版する。
作家を志す方であれば、誰しもが願うことであり、理想のサクセスストーリーともいえるでしょう。
     
しかしながら現実は厳しい。

才能があったとしても、掴めない夢はあるものです。紙の本が売れなくなって久しい昨今。書き手は増える一方で読み手は減少し飽和状態です。     
それでも諦めずに行動し続けた者にのみ、神様は微笑むのではないでしょうか。

彼女も、商業出版という夢は現時点で叶ってはおりません。しかしながら、『作品を本として世に出す』夢は掴みました。
     
出版社も丁寧に調べあげ、最終的に代表の方が詩人でいらっしゃる、『竹林館』に依頼を決めたとのこと。

他力本願ではなく自助努力は、何においても必要不可欠。「願えば叶うんでしょ」最近の引き寄せブームにあぐらをかいて、努力もせずただ待っているだけでは、運命にもそっぽ向かれてしまいます。
    
行動することが大切なのだと思います。
   
作品を創りつづけたことも素晴らしいですし、自力で夢を掴んだことに敬意を表します。なにごとも続かない私からすれば、尊敬に値するのです。

彼女から詩集が献本として届けられました。優しく温かく美しい装丁の、素敵な詩集でした。作品ひとつひとつに愛が感じられ、じ~んと胸が熱くなってくるのです。

ああ、彼女はこういう生き方をしているんだなあ、とか。日々の中で幸せや楽しみを見つけるのが上手な人なんだなあ、とか。当たり前の日常が、とても愛しくなってくる作品でした。

出版元やAmazonでも販売しております。
よろしかったらサイトを覗いていただけると嬉しい。

『小さな幸せ×1000=大きな幸せ』 白鳥 鈴奈著



『小さな幸せ×1000=大きな幸せ』
白鳥 鈴奈著 竹林館出版

www.chikurinkan.co.jp


Amazonで見る

商業出版というカタチではないものの、どのようなカタチであれ『夢』を叶えた彼女は今、幸せを噛みしめていることでしょう。

それに、出版された本を見て商業出版につながることもあります。そういう作家さんは案外多い。

ここからまたスタート。
夢への道はまだまだ続いているといえますね。

【蛇足】
実は今回の出版にあたって、ほんの少し編集に携わっております。
膨大な作品の中から詩集に収める作品を、何か月にもわたって選び抜き、作品の並びまでをお手伝いさせていただきました。

小タイトルも(仮)でつけたものが、採用されたようです。当初、本に入れるつもりはなく、ファンからのメッセージとして添えた文章も、巻末に掲載していただき帯にもなっております。(吃驚)

本好きの私としましては、幸せな機会を与えてくださった彼女に感謝するとともに、心からの祝福を贈ります。

おめでとうございます。

秋の夜長にニヤニヤひとり妄想を楽しむ

 

自分をご機嫌にするためには、心地よい空間づくりが必要だと思う。安いから、いつか使うかもしれないから。こういった動機で手に入れたモノは大概、日の目をみることなく終わってしまう。

日用品に関心があまりない。実家暮らしという便利さにあぐらをかいて、料理もしない。したがって食器類にもこだわりが薄い。母も実は料理が苦手で「嫌い」なのだという。ただ食べるのが好きだから、しかたなく作っている感じ。

そのモチベーションをあげるために、色んな食器を買ってくる。100均のものであったり、陶器市などに出されている不揃いなカタチのお皿セットなどが殆どだ。老人小国のような4人家族の我が家において、それほど食器はいるんだろうか。つい口を滑らせそうになるが、押しとどめるようにしている。


イヤイヤ料理をしている母にとって、ご機嫌をとるアイテムが、食器であるなら安いもんだろう。でも、ね。食器棚からあふれだし、食器乾燥機からもあふれだすほど、大量に買い込むのはいかがなものか。度を越すと、もはや中毒というか依存になってしまうよ。


そんな私が最近になってイイな、と思う陶器がある。ブルガリアのトロヤン陶器というものだ。

トロヤン陶器


『世界はほしいモノにあふれてる』というNHKの番組で知ったのだけれど。毎週木曜日の午後10時からの放送で、ホスト役は、歌手のJUJUさんと俳優である三浦春馬さんのおふたり。それにしても春馬さんはイケメン。そのお姿を拝顔できるだけでも、見る価値があると思うな。

 

話しを元に戻して。


やはりお気に入りのアイテムに囲まれると、毎日が楽しくなるのではなかろうか。たとえ人からみれば、ツマラナイものであっても、意味がないものであったとしても。自分の心が喜ぶものであればいいのだ。


仕事で散々な目にあって、頭が風林火山のようになったとき、ほっこり和む空間が迎え入れてくれれば、怒りは鎮火しそうな気がする。現状の部屋では雑然とし過ぎてくつろげないんだけど。できるなら、豊かな生活をしたいと願う。まぁ、たいていはテレビの受け売りでミーハーな動機である。

 

日本人の気質として節約、節制、慎ましやかな生活が美徳とされている。外国が全て大らか、ってわけじゃないだろうけど、暮らしを楽しんでいるイメージは確かにあるよね。実際、友人なんかは日本から脱却をはかり、海外で暮らしているし。

 

うちの神様(妹)も、いずれは海外に移住したいらしい。
妹がなぜ神様扱いなのかは、↓コチラの記事を読んでくださいませ。

 

life-magazine.hateblo.jp

 

 

神様曰く。
日本で暮らすのは『器量が狭すぎてイヤ』だそうである。昔から神様は旅行が大好きで、その行き先の99%は海外だった。とくに南国が多い。ゆったり、まったりのスローライフがお気に入りのようだ。

 

海外生活なんて興味もなかった私だけれど、雑貨や絵を見て回りたい。そんな欲求がくすぶり始めてきた。来年あたりは海外旅行にでも行ってみるかな。

 

なんてあれこれ夢想するが楽しい秋の夜長なのだった。

 

 

自己紹介がわりに取り扱い説明書

自画像

 

自己開示をどんどんしてみよう。そう思い立ち、自己紹介もまだのことに気づきました。遅い!私をリアルにご存知の方は言わずもがな。な訳ですけれど、SNSでしか知りようがない方にも、きちんとご挨拶しなければいけませんよね。

旧ブログを始めたばかり(2011年)のころに書いたものを、加筆訂正しつつ、そのまま掲載いたします。基本的な人間性は大筋こんな感じです。

私の取り扱い説明書

巷では「B型の説明書」という血液型別の本が大流行しておりました。
そこで、私も「自分の説明書」なるものを少しだけ、書いてみようかと。

基本情報

名前:ヒミツノアッコちゃん
生年月日:第一回東京オリンピック年の1964年5月14日
干支:辰年
星座:おうし座
数秘的ライフパスナンバー:3
生誕地:高知県高知市
血液型:B型
結婚歴:一度ありのバツイチ
出産歴:なし
家族構成:父、母、妹、私の高齢者4名で構成
職歴:幼稚園教諭、保育士、派遣社員(20年以上)
資格:幼稚園教諭免許、保育士資格、GCS認定コーチ
よさこい歴:3歳~40歳まで
※人見知りで人前に出るのは好きでなく、サポーターに徹したい。
生涯、黒子を貫く所存(これ誰も肯定してくれないから強調しとく)

パーツの説明



見た目=Booちゃんの着ぐるみを着用した人間もどき

ここ数年で、人間からBOOちゃんへと変身完了しております。
約20キロの脂肪を纏っている状態です。
その昔は、スラリとした一応人間の姿をしておりましたが。トホホ
過去の栄光はかなぐり捨て、只今着ぐるみを脱ぐべく、試行錯誤中。

趣味=読書と妄想

読書というのは、ちょっと違うかな。
本が好きなんですね。
読まなくてもあるだけで幸せ。
だから本屋さんに住みたい。

読むジャンルとしてはフィクション(小説)が圧倒的!
ここ最近、スピリチュアルやビジネス書も増えつつあります。

あと、妄想は若干の語弊があるか。
脳内想像作業を日常茶飯事にしているため、ぼーっとしているように思われがち。
脳内ではイラストのイメージやら、アイディアがグルグル回ってます。

性格=マイペース、好奇心旺盛な引き込もり

とにかくマイペース。あまり周囲を気にしないため、通信簿には「協調性が欠如」と書かれてました(>_<)

基本インドア派なので、外へは通勤以外出ません。
でも、家で出来ることは好奇心旺盛ですから、色々します。
イラスト描く。小説書く。本読む。インターネットで調べる。ハンドメイドの作品をつくる。数秘術の鑑定を勝手にする。WEBデザイン。DTP(印刷)デザイン。

興味を持ったことは、何でもやります。
PCも壊すくらいの勢い! で、色々試しすぎて、実際壊しました。(-_-;)
自作PCを現在作りたいと企て中。←これは既に実践済み

視力=電柱さんやマネキンさんに挨拶するくらいの程度

裸眼では、測定不能の視力。
矯正しても調子が良いときで、両眼で0.1あるかないか。

物や人の顔の判別は、つきません。
電柱にコッツンコしては、「あ、すみません」と謝り、店頭販売のバイトをしていたときには、マネキンに向かって「いらっしゃいませ」と満面の笑みを送っては、爆笑をかってました。

人の顔は『へのへのもへじ』状態なので、社長さんにも「いらっしゃいませ」と挨拶しては、「ボク社長だよ」と毎回呆れられてました。

好きな言葉

生きているだけで丸儲け。
笑う門には福来る。

取り合えず、生きていれば何とかなる、的な思考の持ち主です。
そして笑っていれば、嫌なこともバカバカしくなって、どうでもよくなります。
自分の好きな人たちと、笑って暮らせるだけで万事OK!

長所

好きなことには一直線。
やりたいことは迷うことなく突き進みます。
自分大好き、愛してます。
他人のいいところ見つけるのが上手い。

コンプレックス(ちょっと長い)

歯並びが悪い。
歯科の先生に衝撃的な言葉を発射され、以降、歯医者に行くのも苦手になりました。
これ本当に、私にとって大きな出来事だったので、詳細を書きますね。

「○○さんの歯ね、噛み合わせが一個もない。僕も長い間この世界で生きてきたけど、初めて見たよ。これじゃあ、治療はできない。矯正も難しい! 歯はね、遺伝によるところが大きいけど、ご両親は?」

そう訊かれ、両親はおろか先祖代々に至るまで、お手本になるような歯並びで、虫歯も一本もなく全部自分の歯だと伝えました。
すると、このような質問が返ってきて、またビックリ仰天。

「じゃあ、赤ちゃんのときに、どっかから落とされたとか、事故にあったとかない? これだけになるには、かなりの衝撃が加えられないと普通ならないよ」

う~ん! 先生もういいです。そんなに言われると、自己否定されてるようで辛い!
という出来事があり、歯医者さんにしばらく行くことができませんでした。
今も、緊急事態でない限り行きません。

それ以降、一時期口をあけて笑うことができなくなりましたが、今は平気。
そんな珍しい歯並び、そうそう経験できないし、コンプレックスもひっくるめて、私ってことを受け留めましたからね。
それにしても先生、言い方ってもんがあるやろ(笑)

好きな人

自分を大切にしている人。
一生懸命な人。
正直な人。
不器用でも自分の人生を自分で決められる人。
自分の故郷に誇りを持って愛している人。

苦手な人

必要以上に自分を卑下している人。
責任を他人のせいにする人。
嘘をつく人。
何もしてないくせに、評価されてないと吹聴している人。
自分の故郷をなんにもないところと揶揄する人。

今後の野望

私が大好きな人を全力サポートして一番にすること
高知をもっと元気に、そして高知にいても学べるし、稼げることを証明すること
仕事がないからと県外に出て行った心友を高知に呼び戻すこと

ざっとこんな感じですかね。
おいおい、最新情報は追加していくことにします。

芸能人じゃなくても歯は命

歯並びのよい女性



『芸能人は歯が命』

というキャッチコピーの歯磨き粉がありましたよね。ご存知ですか。年代でもう知らない人も多いことでしょう。ですが『芸能人じゃなくても歯は命』。人間の歯はげっ歯類のように伸びたりしませんから。抜けてしまえばおしまい。

 

昨夜、3本連結ブリッジの被せモノがとれてしました。『スルメ』をガジガジしている最中のことでした。噛んでいる途中で兆候はあったんです。歯が浮く感覚があって、「うん?」と思いつつ噛み続けておりました。そしたら案の定、とれちゃいましたよ。

 

通常の被せモノと違って、3本連結ブリッジのヤツですから、右下の奥は大惨事。これじゃあ食事もまともにできません。もちろん作っていただいた歯科に連絡を入れて予約をとりましたよ。でも来週の火曜日まで予約がいっぱいだそうで。その間はこの状況でいくしかありません。

 

私は歯の被せモノがすぐ取れます。虫歯が原因になることもありますけれど、他に重大な理由があるのです。それは。 『型がとれない奇妙な歯並び』 だということです。私の歯を視た先生が興奮しながら「長いこと歯医者をやってきたが、こんな歯並びは見たことない。ちょっと歯型を取らせてもらえないか」というくらいの奇妙さです。

 

人の口の中をまじまじ見る人は、歯医者以外にはそうそうないでしょう。ですから比較対象がないわけで、自分では?????でした。ただですね。歯並びにコンプレックスはありました。デコボコしているし、右に流れています。歯並びがよくないことは重々承知はしていたわけです。けれど『見たことのない歯並び』とまでは考えが及びませんでした。

 

私の歯を見てくださったのは、院長先生でした。ちょっとお茶でもしない、みたいな口調で「ちょっと院長室においでなさい」と手招きされ、すごすごついていきました。そこで院長先生にレントゲンを見せられ、いろいろとご説明をしていただきましたよ。その間、院長先生はとても嬉しそうでしたけれど、私は恥ずかしさで顔をあげることができませんでした。

 

なんでも、歯並びも悪いけれど、あごの骨格、歯の骨自体も変形・奇形しているんだそうです。歯並びは遺伝によることが大きく、両親はどうか、妹はどうか、と矢のように質問されました。両親はお手本のような歯並びをしていて、虫歯は一本もありません。そう答えると、院長先生は首をかしげてましたね。

 

「遺伝でないとすれば、後天的な原因かな。ここまで変形するには、相当な力が加わらないとならないよ、普通は」という言葉につづけて、「もしかして赤ちゃんのときに、どっか高い所から落とされなかった?」ともおっしゃいました。

 

そのことを帰宅してから母親に申しましたところ。「あんたは初めての子で、大切に、大切に育てましたよ」大激怒されました。いや、私がいったわけではなく、歯医者の先生がいったことをそのまま伝えただけですけど。とんだとばっちりを受けましたよ、ホント。

 

結果としてそこの歯医者には通いづらくなって、それ以降は行っていません。ただひとつ。そこの歯医者さんに指摘されたことで納得できたことがありました。それは、どこへ行っても歯型が取りづらく時間がかかり、治しても治しても、被せモノがすぐ取れるということです。そのときこうも言われましたね。

 

先生:「他の歯医者さんでは指摘されなかったの? 歯並び」

私:「はい」

先生:「なるほど、指摘して治せなかったら、バツが悪いから言わないんだね」

私:「・・・・・」

 

確かに今まで、一度たりとも歯並びのこと、矯正のことを指摘してくれた歯医者さんはありませんでした。明らかに歯並びは悪いので、矯正のアドバイスがあったとしてもおかしくないのに。実際、それがずっとコンプレックスでしたし。

 

矯正もできないレベルってこと?

 

事実を知ったことで歯医者へ行くことがこわくなってしまいました。ですから、しばらくは痛みを限界まで我慢していました。少々の風邪なら寝ていれば治ります。でも歯は、自然には治りません。我慢した代償として、2本抜歯するはめになり、左上と右下の奥がブリッジになってしまいました(/ω\) 良い子の皆さんはマネしませんように。

 

今考えればですよ。高知の田舎の歯医者さんの言うことです。どこまで信憑性があったのか疑問に思います。都会と違って患者数が少ないですし、その分、症例も多くなかったことでしょう。都会の歯医者さんだったら、それほど驚かれずにすんだのではないか、と考えたりします。まぁ、わかりませんけれども。

 

ただ、事実であったっとしても、「トラウマ」を残すような発言はどうか、と思います。伝え方って大事ですよね。私も気をつけよう。

 

現在、通っている歯医者さんは、腕がいいかどうかは別として、先生がとても大らか。初診の際に「トラウマ話」をしたところ。

 

先生:「ふうん。でも50年この歯並びで問題ないんでしょう」

私:「でも、歯並びは悪いですよね」

先生:「その先生が言うほどではないよ」

私:「そうなんですか」

先生:「それに、歯並び良くても、虫歯になる人はなるし、歯並び悪くても一本も虫歯ない人いるから。気にしなくていいんじゃない」

私:「・・・・」

 

大雑把な解釈でしたが、その言葉に正直、救われました。確かに。見たこともない歯並びだと言われても、ずっとこれで生きてきたし、コンプレックスはあれど、それほど大きな問題もありませんでした。なにより「そのままでいいんだ」という安心感を受けました。歯で否定されただけなのに、人格まで否定された気がしていましたから。

 

歯医者は相変わらず苦手だし、被せモノはすぐとれてお金もかかる。けれど以前ほどコワイところではなくなりました。なんにしても「歯は命」。みなさんも大切にしましょう。

同郷の作家さんは応援したくなるのが人情

基本的にはジャンルを問わず『本』は好きです。けれど好んで手に取るジャンルと、スルーするジャンルは正直あります。以前はライトノベルが苦手で、食わず嫌いならぬ、読まず嫌いの期間がありました。

 

ところが一冊の本との出会いによって、ライトノベルは意味不明のカタカナ造語が乱発されてて読みづらい、といった先入観が打ち砕かれました。それが有川浩さんの『空の中』でした。手に取ったきっかけは、有川さんが『高知出身』だったからです。そのときすでに人気作家ではありましたが、ライトノベルのカテゴリーに入っておりましたので、高知出身でなければおそらくスルーしたはず。

 

同郷というだけで、どうしては人は親しみを感じ、心を開いてしまうのでしょう。年代も違うしお会いしたこともないのに。とにもかくにも購入した本のページをめくりました。そして衝撃を受けたわけです。

 

お、面白い!!!!!

 

有川さんといえば『自衛隊』三部作が有名どころ。岡田准一さん主演で映画化もされましたし、多くの方に認知されている作家さんだと思います。もし同郷でなければ、私は一生この面白い作品を手に取ることがなかったかもしれない。そう考えるとこの奇跡に感謝してしまいます。以降はライトノベルのジャンルを積極的に読むようにもなりました。

 

『本好き』とかいっておきながら、お恥ずかしいことに、読んだ冊数は少ない方だと思います。活字好きとか、読書が好きなわけではなくて、本そのものが好きで。いわゆるコレクターの一種といえるかもしれません。タイトル買い、表紙買い、挿絵買いもします。極論をいえば内容重視じゃないんですね。友人いわく「本を本棚に並べてニヤニヤしている変な人」らしいです。

 

ちょっと脱線しました。ライトノベルを読むようになってから知ったのですけれど、ライトノベル出身の直木賞作家さんもおいでるようですね。ますます私は先入観というか偏見をいだいていたことになります。穴を掘って入りたい(/ω\)

 

ライトノベル=若い子向けの軽い小説

 

メッチャ上から目線でした。しかも若い子向けだから若干作品も稚拙に違いない! みたいな考えもあったことは否めません。本当に穴があったら入りたい。有川さんにしてもジャンルを超えた作品を発表し続けています。その多くが映画化、舞台化をされ高い評価を受けています。ですから今や私も、同郷という人情ではなく、大好きな作家さんとして、しっかりリストに記しております。

 

最近読んだ有川作品『ヒア・カムズ・ザ・サン

有川浩 ヒアカムズザサン



これも味わい深い作品でした。手に触れたモノに残る記憶が見える、という特殊能力を持つ編集者が主人公です。いわゆるサイコメトラー的な感じですかね。人と違う能力を持つということはある種の悲劇を生むこともあります。知りたくもない過去が見えたり、表と裏の顔がわかって人間不信になったり、とマイナスに働くことが多いのではないでしょうか。

 

けれど有川さんはその能力を、人と人とを結び再生させる、プラスの部分に焦点を当て続けています。視点が優しいのです。そしてほとんど悪人が出てこない。ストーリーも日常の中の小さな幸せに光をあてています。恋愛の書き手としてもすぐれていて、とにかく人間を描くのが上手い。キャラクター設定が絶妙で、主役と脇役のバランスだったり、細かいところまで気遣いが行き届いています。

 

全ての作品を読破しているわけではないですけれど、作品の中の軸は変わらないのではないでしょうか。私の中では今後も読み続けたい作家さんです。

 

有川さんがライトノベル出身だと知らない人もいることでしょう。しかしながら、もしも、もしも、私と同じように『ライトノベル作家』ということで作品を避けている方がいるとしたら、ものすごくもったいないと言えます。

 

自戒の念も込めて、読まず嫌いは損をする!ということを心に刻んでおくことにします。

有川浩著『ヒア・カムズ・ザ・サン

Amazonで見る

好きなことが上手であるとは限らない

好きなこと=上手にできる

 

ではありませんよね。好きなのに苦手。好きなのにうまくできない。好きなのに他者からの評価は低い。このジレンマにずいぶんと悩まされてきました。

 

でも年をとるって素晴らしいですね。少々のことは気にならなくなるし、なによりも図々しさが増す。(私の場合)最近では下手でもなんでも楽しいければいい。好きなことはどっちみちやめられないんだから。と開き直っております。

 

その最たるものが『絵を描く』ことです。学校の先生や周りの大人たちから『変な絵』『色がおかしい』『そんなところから手は出てないでしょう』と言われ続け、絵を描くことが悪いような扱いを受けてきました。

 

そもそも形をとることができません。顔の輪郭、目、鼻、口。胴体、手足。風景にしても見たままを模写することができない。空間がゆがんで見えるんです。自分の目に見えているものと、他の人が見ている世界にはかなりギャップがあるらしく。視力が弱いことが影響しているのかな、と思ったりします。

 

大人になれば、あれこれ考察する術ができてきます。その多くは経験に基づくものですね。しかしながら子どもはそうじゃありません。先生、大人の評価が全てだし、それが正解なんだと思い込んでしまいます。実際に私もそうでした。『私の描く絵は変だから、人に見せちゃいけないんだ』と思ってしまったんですね。

 

でも、私の神様がこういいました。(妹のこと)「楽しく描けばいいじゃない、好きなら描いたらいいじゃない」。「でも顔とか、体とか、ちゃんと書けないし」私がそう答えると「描けるとこだけ描けばいいじゃない」とも。

 

目からウロコっていうんですか。そんな風にいってもらったことがなかったので、衝撃を受けました。そうか、描けないなら描かなくていんだ。さらには、「お姉ちゃんは画家になりたいの? それとも好きだから描きたいのどっち」と訊かれハッとしましたね。「好きだから描きたい」。そう絵を描くことが好きなんです。画家になりたいわけじゃないし、誰かに評価してほしいわけでもない。そりゃあ、褒められたら嬉しいですけどね。

 

オリジナルイラスト

 

神様からのありがたいお言葉をちょうだいし、私は絵を描くことを楽しんでいます。いや、本当に楽しい。どうして今まで描かなかったのか悔やまれるくらい楽しい。

 

私と同じように、好きだけど上手くできなくて止めてしまった経験はありませんか、もったいないですよね。好きなことを諦めてしまうのは。もちろん目標や目指しているレベルの違いはあるでしょう。だけど好きなことって、頭では諦めたつもりでも、心の奥底では生き続けているものだと思うんです。

 

100点満点を目指すより、今できる方法で好きなことをやってみたら、想像していたより楽しかったり、周りから評価されたりするかもしれません。結果はやってみないとわからないものですから