【ツバキ文具店】凛とした静けさの中にある幸せ
ツバキ文具店・小川糸著
静と動。
この作品は間違いなく『静』の物語。 大きな事件も奇妙な主人公も登場しない、ささやかでつつましやかな日々のお話しです。
舞台は鎌倉の山のふもとにある 古い文具屋『ツバキ文具店』。 店主でありこの物語の主人公でもある鳩子は、どこにでもいるありふれた人間像として描かれています。祖母から受け継いだ文具屋で 粛々と商いを行い、ぜいたくすることもなく、つつがない日々を過ごしているだけ。
ただひとつ、物語に特異性があるとすれば、 文具屋である店主という顔とは別に、『手紙の代書屋』を主人公が請け負っていることでしょうか。手紙の代書といっても 送り主に代わって手紙を書くだけではありません。 和食屋のお品書きから、祝儀袋の名前書き、 離婚の報告、絶縁状、借金のお断りの手紙まで。 文字に関することなら大抵のことは承る設定です。
これも祖母から受け継いだ稼業のひとつ。 祖母は既に他界しており、孫である鳩子は幼少のころからたたき込まれてきた所作や心構えを記憶からあぶりだすようにして作業を進めていきます。手紙を代書するにあたり、依頼主の想いが伝わる筆跡をイメージし、それにふさわしい紙、筆記具、さらにはインクの色などを選ぶ場面が厳かな儀式であるかのうように描写されています。これらは全て、送る相手に想いを届けるため。
その佇まいがなんとも美しく、SNSなどの台頭めざましい現代において、 廃れかけている「手紙」が持つ、風情なり心意気などを思い出させてくれるのです。そして代書という稼業を通して繋がっていく縁、町の人たちとの心の交流。読み手である私の胸の内にも温かなものが、ひたひたと満ちていきました。
読み終えたあと・・・・。
無性に手紙が書きたくなって、万年筆、インク、便せん、封筒などを買いそろえに、文具屋に赴き、なんだか幸せな気分に浸れました。
50歳をとうに越え、アラカン(アラ還)と呼ばれる世代になると、こういう、あわあわとした穏やかな暮らし向きが、最上級のぜいたくに感じられてくるから不思議なものです。
しみじみと味わい深い一冊でした。