自分をご機嫌にするヒント

人生にはデコボコがつきもの。自分をご機嫌にする方法を見つけて、楽しく生きるヒントをご紹介。

【猫を抱いて象と泳ぐ】タイトルに一目ぼれ

猫を抱いて象と泳ぐ

 

『猫を抱いて象と泳ぐ』タイトルが秀逸。どんなお話しなのか、この表題だけでワクワクと夢想してしまいます。著者小川洋子さんはとにかくタイトルをつけるのが上手い。謎めいていて哲学的であり神秘的であり、創造力を掻き立てられる!

 

タイトル買いをすることは多くありますが、この本はもう、一目ぼれに近いものがありました。もともと小川洋子さんの作品は好きで、書店に寄った際は必ずチェックをしています。それなのに何故、今までこの本を見逃していたのかが不思議でした。

 

ただ、購入してすぐに読んだわけではなく、本を開くまでに結構な時間が過ぎていました。というのも、小川洋子さんの作品を読むとき、ある種の覚悟が必要だからです。作品全般において、静謐な空気が漂っていて、哲学的というか、人生について考えさせられることが多く、やすやすと読み進めることができません。あくまで私見ですけれど。

 

そして小川作品に登場する人物は、何かが欠落していることが多い。さらには欠落しているからこそ、人間として一番大切なものが与えられている。そんな印象を強く持つ人たちが、その小説世界で地道な日常を、つつましやかに生きているのです。

 

『猫を抱いて象と泳ぐ』も例外ではありませんでした。主人公であるリトル・アリョーヒンは上唇と下唇がくっついて生まれてきました。手術で口を開き、唇に脛の皮膚を移植したせいで、唇に産毛が生えてしまう。そのことがコンプレックスとなり、リトル・アリョーヒンは寡黙で孤独を抱えながら生きることになるのです。

 

そんな主人公がある日、廃バスの中で猫を抱いて暮らす肥満の男と出会います。肥満の男からチェスを教わる主人公。彼は、その肥満の男とチェスに心を占められていきます。チェスの師匠である肥満の男は、あまりに体が大きくなりすぎて廃バスから外へ出ることができず、遂にはその中で一生を終えることになります。

 

チェスの師でもあった肥満の男によって、少年アリョーヒンは「大きくなること、それは悲劇である」ということを教訓として学びます。と同時に自身が成長することを恐れるようになり、11歳の身体のまま成長が止まってしまうのです。

 

その後、主人公は、からくり人形「リトル・アリョーヒン」を操り、チェス台の下に潜みチェスを指すことになります。人生の大半をからくり人形として過ごすという、なんとも数奇な運命というか宿命です。それでも彼はチェスを愛し、美しい棋譜を作り上げることに心血を注ぎます。

 

リトル・アリョーヒンは、唇を奪われた状態で生まれてきました。偽物の唇を与えられても、そこから真の言葉を発することはかないません。コンプレックスもあいまって、言葉というコミュニケーションが欠落しています。ですが彼はチェスという別の表現方法を与えられました。真摯にただひたすらチェス盤と語り合うアリョーヒンを、私はとても美しいと感じましたね。

 

「言わなくても察してよ」という人がいます。そんなとき私は「超能力者じゃないんだから察せられないよ」と思います。言葉を発することができるのなら、やはり伝える努力をすべきなのではないでしょうか。この作品を読み終わって、さらにその想いを強くしましたね。

 

娯楽作品からはかけ離れている小説ですから、単純に面白さや楽しさを求めている方には不向きでしょう。人生の奥深さ、生きることの尊さを感じたい方にはおすすめです。

 

『猫を抱いて象と泳ぐ』小川洋子

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雲の上の図書館

私が居住している四国の高知県。海と山と川と、自然豊かなところ。若い年代には田舎暮らしは退屈で、都会に憧れを抱くのかもしれませんが、アラカン世代になると、自然の中で心豊かに生活していくことが最高の贅沢にも感じられます。


ただ不満があるとすれば、書店や図書館などの施設が圧倒的に少ないことですね。本好きな私からすれば、憩いの場所が失われていく危機感があります。もともと数がないうえに、紙の本が売れない時代とあって、書店が相次いで閉店している現状は本当に切ない。

 

高知を知らない方のために、ちょこっとだけご紹介を。といっても知らない方が殆どでしょうが。四国には徳島・香川・愛媛・高知の4県があります。一番認知度が高いのは『阿波踊り』がある徳島、ついで『うどん県』香川ですかね。愛媛と高知はドングリの背比べであまり知られていないのが実情。我が故郷ながら、『坂本龍馬生誕の地』で知る人ぞ知る、的な感じは否めません。

 

高知の観光地といえば、月の名所桂浜、がっかり名所と汚名高きはりまや橋。高知の人間からいわせてもらえば、『はりまや橋』にまつわるお話しが聞かせどころなのであって、橋そのものにあまり意味はないのですけれど、ね。

 

いちばん熱いスポットは、昼間から飲み食いできる屋内屋台的な『ひろめ市場』と、日曜日に開催される青空市場『日曜市』でしょうか。名物は『カツオのタタキ』。魚が苦手な方が、高知で食べて好きになったと言われるくらい臭みがなくて新鮮なのです。

 

あとは皿鉢料理といって、大きなお皿に盛り付けた料理をみんなで食べるのが高知の文化。県外の方の中には躊躇される方もいますけれど、大勢でワイワイガヤガヤ楽しく酒を酌み交わすのは高知ならでは。知らない人ともあっという間に打ち解けて仲良くなれたりします。

 

忘れてはいけないのが、8月に開催される高知の一大イベント真夏のフェスティバル『よさこい鳴子祭り』。開催日は8月9日、10日、11日、12日。この日ばかりは町中に鳴子の音と『よさこい節』が大音量で流れます。きらびやかな衣装を身にまとった踊り子さんたち全員が主役。みんなこの日のために命をかけてます。

 

よさこい祭り 

 

よさこい祭りは高知が元祖なのですけれど、認知度としては北海道の『よさこいソーラン』が圧倒的に高い。全国各地で『○○よさこい』も開催されていて、今やよさこいは高知だけの文化ではなくなりつつあります。高知から全国に広がった、という見方もできるものの、元祖が一番知られていないという現状もあり、複雑な心境です。

 

今回、観光の穴場としてご紹介したいのは、高知県西部に位置する梼原町という山の上に出来た『雲の上の図書館』です。本好きな人にはもちろんのこと、そうでない方も楽しめる施設となっています。

 

高知県梼原雲の上の図書館

 

ぽつんと一軒家ならぬ、山の上のぽつんと図書館。木々の緑と空の青が絶妙なコントラストを醸し出していますよね。地の利を生かしたデザインも、なかなか粋なのではないかと思います。

 

この建物をデザインされたのは、建築家・東京大学教授である隈研吾(くまけんご)さんという方だそうです。正直、私は存じ上げませんでした。略歴によると、近作に根津美術館、浅草文化観光センター、長岡市役所アオーレ、歌舞伎座ブザンソン芸術文化センター、FRACマルセイユ等があり、国内外で多数のプロジェクトが進行中。新国立競技場の設計にも携わっておられるようです。

 

建築の資材には、梼原町のヒノキが使われています。外観もそうですが、施設の中はもっと木のぬくもりが感じられ、独特な作りとなっています。

 

雲の上の図書館

 

何とも独創的な構造ですよね。私もまだ実際に行ったことはなく、写真でしか見たことはありません。友人の何人かは実際に訪れていて、Facebookなどの投稿を読むと、ずっとこの場所にいられるといった感想が多く、行って損はないのではないかと思います。

 

ここは複合施設となっており、図書館の他にもいろいろ趣向を凝らしているようです。そのひとつにボルタリングコーナーがあります。

 

雲の上の図書館ボルタリングコーナー

 

イベント開催ができるステージなども設けられている『ゆすはらステージ』。どんなイベントが開催されているかは、HPのカレンダーで確認することができます。

 

雲の上の図書館ゆすはらステージ

 

たくさんの絵本が並べられている『キッズコーナー』。ラインナップも充実していて、子どもさんだけでなく、大人が見ても楽しめそうですね。

 

雲の上の図書館キッズコーナー

 

他にも色々なコーナーが設置させられていて、幅広い年代の人におすすめの場所と言えそうです。

詳細はこちらのHPをご覧ください。

雲の上の図書館

 

 

高知では昨今、純粋な書店が激減し、蔦屋書店などの複合型店舗に変わりつつあります。飲食店や雑貨など、本以外でも利益が見込める施設でないと経営が成り立たないのでしょうね。

 

確かにひとつの施設に様々な店舗が存在していると、見て回るには楽しいかもしれません。けれどもその分、本のスペースも限られてくるため、蔵書の数が少なくなってしまうのが、私としては残念なところ。とはいえ、書店が相次いで閉店に追いやられ消滅してしまうよりはいいのかもしれません。

 

雲の上の図書館に続き、高知の中心街にも大型複合図書館『オーテピア』がオープンしました。こちらは蔵書の数も多く、一日では回り切れないほどの規模を誇っています。中心地となる商店街の入り口にありますから、公共機関など交通の便もいいです。

 

オーテピアについてはまた別の機会にご紹介したいと思います。

 

 

 

本との出逢いも一期一会

図書室のキリギリス

 

期待せずタイトルに惹かれて手にした一冊。
『図書室のキリギリス』竹内真著。

 

年々、新しい本へのチャレンジ精神は薄れてきて、馴染みの深い著者の本を購入することが定番となりつつあります。この本はかなり前に購入したまま、本棚の隅で眠っていました。一度ページを開いたものの、読み進むペースが遅く、そのまま閉じてしまった本でもありました。

 

本との出逢いも人と同じで一期一会です。大きな書店でなくても、蔵書の中から一冊の本を選ぶには、相当なエネルギーがいります。他の方の場合はどうかわかりませんが、私は様々なジャンルの書棚をぐるりと廻り、最終的に購入する本を決めていきます。適当に手にするということは殆どありません。

 

ですから選んだ本には何かしら魅力があったわけで、思い返せばこの本は『図書室』というタイトルに惹かれたのではないかと。短絡的な思考ですけれど、本が好きなので本にまつわる言葉に目を奪われるのは必然。おそらく当時は司書という職業に関心を抱いていたのではないかと推測されます。

 

ページをめくる手が止まりがちだったのは、自分が思い描いていたストーリーと若干異なっていたことや、他に読みたい本が目白押しで、そちらに気持ちが向いてしまったのだと思います。本を読みたいという衝動が強いとき、かなりの冊数購入するのが私の癖。そのときも同時に数十冊買い込んでいました。結果的に『図書室のキリギリス』はそこから数ヶ月の間、存在自体を忘れてしまっていたわけです。

 

今回、再び読み始めたきっかけは、積読でおいてあった本を全て読みつくしたからです。著者には失礼極まりない理由でしょうね。読者というのは気まぐれで、そのときの気分に左右されるところがあります。ただ、何事にもタイミングというのはあるわけで、今こうして読んだことは最善の時期だった気もします。

 

ストーリー自体は特別な事件が起こるわけでも、ワクワクドキドキするような展開が待っているわけでもありません。離婚を転機に学校司書として働きはじめた主人公と、その図書館を利用する生徒や先生たちとの交流を描いた作品です。とはいえ学校司書という特殊な職業の裏側を知れる楽しさや、物語の中に散りばめられた小さな謎解きなど、読者を楽しませる仕掛けがあって、味わい深い一冊ではありました。

 

タイミングの妙だと感じたのは、最近になって学校司書に関心を持ったことと、地元にできた大型図書館の影響が大きかったかもしれません。幼少期は本を買うお金がなかったため、図書館で本を借りることが唯一の楽しみでした。社会に出て本を買う経済力がついてからは、手元に本を置きたい欲求が大きく、図書館を利用することもなくなっていました。

 

そんな折り、これまでにない複合型の図書館ができ、再び図書館に興味を惹かれるようになったタイミングで、この本を読んだわけです。本の貸し出しを行う施設といってしまえばそれまでの図書館。ですがそこに収められた蔵書には色んな物語があることを、この『図書室のキリギリス』によって思い知らされます。

 

自分が購入する本と違って、図書館の本は色んな人が関わっているわけです。年代や性別も様々な人が借りています。ある人は「面白い」と感じたかもしれませんし、別の人は『全く面白くなかった』という感想だったかもしれません。同じ本を読んでも、感じ方は人それぞれ。もっというならば、その人の生き方、感性こそが本の印象を決定づけるといってもいいかもしれません。

 

そして私のように、一度目に読んだときは関心が持てなかったのに、タイミングひとつで印象深い一冊になる可能性もあるわけです。そう考えると「たかが本、されど本」で、自分自身の内面と向き合うきっかけにもなりますね。

 

漠然とライフワークとして、ゆるっと本に関わることが出来たらいいな、と考えていたのですが、その想いはずっと燻っています。炎のように燃えさかることはなくても、消えることもない。本が売れないと嘆かれる時代に、こそっとブログ記事にしたり、友人たちにピッタリのおすすめ本を紹介したり。のらりくらりしながらも、本の持つ魅力を伝えられたら素敵だろうな。

 

そんな小さな明かりを再び灯してくれた一冊でもありました。

伝えなければ、やっていないに等しい

ホワイトタイガーと女性

 

自分のことって、本当に理解できていないと、つくづく実感しています。それは、友人たちの何気ないひとことから、気づかされることも多い。ここ最近でいうと、幼なじみから飛び出してきた、衝撃発言もそのひとつです。

 

「〇〇は、器用やし努力せずに好きなことでラクしてパパっと稼げるからいいよね」

ん? ちょっと待って! 子どものころから一緒で、誰よりも私を知っていると思っていた彼女の言葉に、私はしばし唖然といたしました。

 

「え? 全然器用やないし、ラクして稼いでるわけじゃないよ」

 

少しばかりムッとした口調で言い返したように思います。そんな私の様子に、彼女も若干驚いた表情を浮かべていました。長年の絆がありますから、自分の本音をぶつけても、お互いの関係性が揺らぐことはありません。ですから、ランチしながら、彼女がどうしてそんな風に誤解したのかを訊いてみることにしたのです。

 

わかってくれているはず、という思い込み

 

よくよく話しを訊いていくうちに、なるほど! と納得する部分が多く、それじゃあ私が悪いワ。という結論に至りました。

 

つまりは、幼いころから一緒にいて、わざわざ言葉にしなくても、私のことをわかってくれているはずだ、という思い込みがあったのですね。これって、家族や夫婦関係においても、亀裂を生む原因になる要素だったりします。

 

「言わなくてもわかるだろう」的な傲慢発想ですね。わかるわけありません。同じ考えを持つ人間なんて、そもそも存在しないわけで、ちゃんと口にしなければ伝わらない。そのことを他人には知ったかぶってアドバイスしているくせに、自分ができていなかったわけですよ。

 

ああ、恥ずかしい! 穴にもぐって反省します。

 

 

自己開示の大切さ

 

例えば、こんなことを言われた経験はありませんか。
「それは〇〇さんだから出来るのよ」

思い返せば私、よく言われている気がします。その時点で気づけよ! って話しですね。本当に修行がまだまだ足りません。至らない点ばかりだけど、こんな自分も私は好きです。

世代のせいにするわけではないですが、日本人の気質に、努力を見せないことが美徳、という観念があります。まさに私がそうでした。というよりも、好きなことのために向上心を持ってやっていることだから、努力と感じていなかった、という方が正解か。

 

好きだから、もっと上手くなりたい。

 

そのために勉強したり、できる方法を模索することは喜びでしかないし、私にとっては、そのプロセスさえも楽しく有意義な時間。ですから努力している自覚はなく、敢えて言う必要性を感じていなかったわけです。

 

昨日「努力の選び方」という本をご紹介しましたが、まさに成果を生む必要な努力を、私はできていたということ!(自画自賛) でも、他人から見れば、何の努力もせずに、スイスイできっちゃってる人に見えていたということがわかりました。

自己開示することの大切さに気づかせてくれた、彼女に感謝の一日でしたね。

好きなこと、やりたいこと、やっていることを口にしよう

 

やっぱりね、言葉にして伝えないといけないんですよ。自分の頭で考えて、ひとりで行動しても、周りの人にはわかってもらえない。

 

・長い付き合いの友だちなんだからわかるだろう
・家族なんだからわかって当然
・夫婦だから言わなくても察してよ

 

これって、無理な相談。超能力者じゃないんだから。人は言われたこと、見たことでしか判断できません。だからこそ、言葉というコミュニケーションが生まれたんだと思います。

 

・好きなこと
・やりたいこと
・やっていること

 

どんどん発言していきましょう。いや、言わなきゃわからない。何も伝えてないのに、応援してくれない、わかってくれない、と相手を責めるのは違いますよね。

 

上手に言わなくてもいいんです。口達者になる必要なんてない。ただ、自分の想いを心を込めて話せば、その熱意は伝わります。口下手な人でも大丈夫。時間をかけて、ゆっくり自分の中から言葉を引き出していけばいい。

 

伝えたい!

 

その気持ち、意志、情熱、それが人の心を動かしますから。私も反省を活かしてバンバン発言していきます。

報われる努力をするために必要なこと

努力の選び方

 

努力は必ず報われる! 本当にそうかな。私はこの言葉は不十分だと感じています。何事においても努力は大切だし、必要なものです。でもね、そこに落とし穴がある気がしていました。これからご紹介する本は、そんな私の疑念をすっと晴らしてくれた一冊です。

 

 

努力は必ずしも報われない

 

 

色んなことを我慢してがんばっているのに、なぜだか上手くいかないことってないですか。まだまだ努力が足りないんだ! などと言われて、さらに一生懸命やってみるんだけど、思うほどの成果が得られず疲弊する。

 

私もそんな「努力は報われる」族のひとりでした。呪文のように唱えて、今は辛くて苦しいけれど、実を結ぶ日がきっとくる! なんて言葉を信じて耐えてました。

 

で、どうなったか?
めっちゃ疲れました!

 

そして、どうしたか?
やってたことを全てやめちゃいました

 

だって、死に物狂いでやったにもかかわらず、なんの結果も出ないんですよ。そりゃ、嫌になりますよね。私の場合は、潔くバッサリやっていた努力を捨てたんです。

 

そんなタイミングでこの本に出会いました。まさに私が実感したことが、端的にわかりやすく書かれておりました。「腑に落ちる」とは、こういうときのためにある言葉ですね。

 

 

努力の無駄遣いをやめよう

 

無駄な努力なんてない。そう思われている方は多いのではないでしょうか。体験から言わせてもらうと、無駄な努力はあるんです。これね、勘違いしてほしくないんですけど、努力が無駄なわけではありません。無駄な努力がある、という語順が大事! 日本語って難しい。

 

以下はAmazonの内容紹介から抜粋です。

 

 

■「才能」「能力」「時間」「お金」の
ムダづかいは、もう、しない。

「必要ない努力は捨て、
結果につながる努力のみを厳選し、集中する」

人には各々、自分に向いている努力と、
向いていない努力があり、
ストレスなしで勝手に努力できることと、
どうしても努力できないことがあります。

仕事、人間関係、勉強……。

ムダな努力を重ねても、
「才能」と「能力」と「時間」と「お金」を、
無意味に浪費することになります。
さらに言えば、「心」も消耗させてしまいます。

本書では、コンスタントに突出した結果を出す人の
「ムダな努力を捨て、報われる努力を厳選し、
それに集中するコツ」が書かれています。

■必要ない努力を捨てて、報われる努力だけをする

 

 

努力をするから報われるのではなく、正しい努力を選択することで結果がついてくる! ということですよ。

 

あなたの努力の方向性は合ってますか?
ご自身でわからない場合は、プロに相談してみるのも一つの手ですよ。例えばコーチングのプロコーチとかね。

ハリネズミの距離

他人の心に土足で踏み込まない

 

二匹のハリネズミ

 

痛い体験をして初めて実感すること、人生の中には沢山あります。

 

20代前半のころ、人との距離感を見誤ったことがあります。そのせいで大切な友を失いました。信頼、絆、人生を共に歩む友、お互いにそう信じていた仲でした。

 

でも少しのすれ違いが、大きな亀裂を生んでしまいました。誰しも触れられたくないこと、人には知られたくない秘密があります。それが心友だったとしても。いやむしろ心友だからこそ、見せたくない部分だったでしょう。

 

そのときの私は傲慢で、友だちを救えると勝手に思い込んでいました。相手が望んでいないのに、救いの手を差し伸べた気でいたんです。

 

友人は助けてほしかったわけではない。
窮地を救ってほしかったわけではない。

 

今ならわかります。

 

何かをしてくれるから友だちなんじゃない。
何かを与えてくれるから一緒にいるんじゃない。

ただ、傍にいるだけで良かったのです。言葉も、救いも、アドバイスも、そんなものは必要じゃなかった。友が語ってくれた言葉を私はずっと心にしまって、何かあるたびに引っ張り出してきます。

 

心友の言葉、ちょうどいい距離感を保つ

 

以下はそのとき心友からいわれた言葉です。

 

寒くて寒くてたまらないから、お互いの体を寄せ合って暖を取ろうとする。でも近づきすぎると互いの体を鋭い針で刺してしまい、血だらけになる。

 

だからハリネズミはお互いを傷つけないように温めあえる優しい距離を測る。そうして互いを思いやるちょうどいい距離で寄り添うことができる。

 

人もこういう距離が保てたら素敵だよね。
私たちもハリネズミだったら良かったね。

 

 

人は気づいたときから変われる

 

その出来事から数十年を経て、友と再び出会うことができました。そのときの私はハリネズミの距離をもう知っています。

 

ですから、わだかまりも、謝罪も、後悔の言葉も心友には必要ないことも知っていました。ただ笑って「元気?」挨拶を交わし、当たり前のように一緒にいる。それだけでいい。

 

その友は今でも私の心友です。

 

痛い想い、辛い過去は今を幸せにするための経験。

 

 

生き方をキャッチコピーで表現する

何度も読みたい広告コピー

 

何度も読みたい広告コピーに学ぶ

 

自分の夢、目標までの指針を示してくれる。ときにそっと背中を押してくれ、ときに強烈な言葉で心を刺してくる。私にとって本とはそういう存在。そして自分にとって必要な時に、絶妙なタイミングで出会う本があります。


発行年数を確認すると結構前の本だけれど、過去の私ではなく、イマの私に必要な内容なのでしょう。今回まさに私の生き方、人生を表現してくれているキャッチコピーに出会いました。珠玉のボディーコピー。

 

以下全文を掲載

 

バカとつきあうのは
9時~6時で充分なので、派遣社員
これが私の生き方ですが何か?
オフィスで今日も懲りずに、
ごますり、根回し、イス取りゲーム。
社員同士で足のひっぱりあい、
なんともご苦労さまでございます。
でも、関わりあうのはまっぴらごめん。
そんな暇と余力があるなら
私は私のために使いたい。
今の世の中、信じられるのは自分だけ。
資格とスキルを見つければ、
不況が続こうと
日本中の企業が潰れようと怖くない。
生きたいように生きていく。
・・・さて、定時。
それでは社員のみなさま、
お先に失礼いたします。
~スーパー派遣OLのつぶやきより

 

 

 自分で選ぶ働き方

 

私の本業は『派遣のプロ』です。

 

幼稚園教諭、保育士を7年経て、派遣社員を20年やってきました。それは社員になれなかったわけでなく、派遣というシステムが自分に合っていて、自分で生き方を選んだ結果です。


時代は起業ブーム?ではありますが、雇われる生き方が悪いわけではないと私は考えます。大事なのは自分が選んだ人生なのか、自分がありたい姿なのか、ということです。


初めて社会に出て勤めた会社でずっと継続して働いておられる方、私は尊敬します。(ケースにもよります)要は自分の意志で決定し、選択した人生であれば、他人の評価など関係なく、貫けばいいということ。そして私は派遣を選んだ。ただし、ただの派遣ではなく、派遣のプロです! 紹介したコピーで表現するなら、スーパー派遣OL! 


キャッチコピーには自分の人生と共感できる言葉があります。皆さんもちょっと気にかけてみてはいかかがでしょう。

 

【補足】
コピーの言葉全てが当てはまるわけではありません。
核の部分を表現してくれている、という意味です。

短い言葉にこそ深い人生がある!